大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和55年(あ)1593号 決定 1981年4月25日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人平川実の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、職権により判断すると、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五四年九月二六日ころから同年一〇月三日までの間、広島県高田郡吉田町内及びその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もつて覚せい剤を使用したものである。」との本件公訴事実の記載は、日時、場所の表示にある程度の幅があり、かつ使用量、使用方法の表示にも明確を欠くところがあるとしても、検察官において起訴当時の証拠に基づきできる限り特定したものである以上、覚せい剤使用罪の訴因の特定に欠けるところはないというべきである。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(本山亨 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝)

弁護人平川実の上告趣意

一、本件は訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

即ち、先ず、一審判決が起訴状記載の公訴事実の犯行日時の期間を短縮したのみでその余はこれと殊んど同一の事実を認定しているのに対して、原判決はこれを支持しているが、右公訴事実によつては、犯行の日時、場所が特定されず、使用量も若干量という極めてあいまいなものであり、その使用方法も注射又は服用という択一的であいまいなものになつているので、事案の性質を考慮しても、審判の対象の特定の範ちゆうを著しく逸脱し、被告人の防禦権の行使に重大な支障を来たすものであるから、かかる特定の不充分な訴因について、被告人を有罪と認めた一審判決、これを支持した原判決には、訴訟手続に関する法令(刑訴法第三三五条第一項、第三三八条第四号、第二五六条第三項)に違反した違法がある。

一審判決は、最高裁判所大法廷昭和三七年一一月一八日判決を引用して、目撃者のいない、しかも被告人の自供もない自己使用の本件事案については、覚せい剤施用の日時、場所及び方法について公訴事実記載以上に具体的に特定することができず、本件公訴事実と検察官の冒頭陳述を綜合すると本件の審判の対象及び被告人の防禦の対象は自ら明らかであると判断し、これを受けて原判決は、犯罪の日時、場所及び方法はこれらの事実が犯罪を構成する要素になつている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊の事情がある場合には、裁判所に対し審判の対象を限定し且つ被告人に対し防禦の範囲を示すという法の目的を害さない限りの幅のある表示をしても、その一事のみをもって、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできないとし、本件はまさに右特殊の事情がある場合に当るものというべきであるから、一審判決には右訴訟手続に関する法令の違反はないと判断している。

しかしながら、捜査官は、国家権力を背景にこれを有効に駆使して、訴因の特定を図るべきであり、科学的合理的捜査の可能な現在、これを怠ること自体捜査のミスであり、そのしわよせを被告人が蒙ることは人権尊重上許せない。捜査のミスのために訴因の特定ができないときは、公訴権の発動を差しひかえるべきであり、起訴がなされたときは裁判所は公訴棄却の判決をすべきである。

次に、右訴因の特定に関する問題であるが、公判審理の過程において訴因の全部或は一部が特定し得る状態になつたときは、検察官は、すみやかに訴因の撤回、変更、追加の手続をとつて、できる限り訴因の特定を図るべきであり、裁判所もすみやかにこの手続を命ずべきであり、そのうえで公判の審理、裁判がなされるべきである。これを本件について見るに、先ず、犯行の日時の点であるが、被告人は始めより昭和五四年九月二三日頃と供述しているところ、証人山本和夫の証言がなされた段階で、これと広島県警察本部刑事部犯罪科学研究所長作成の「鑑定書の送付について」と題する書面(鑑定書添付)により、被告人の尿中(尿の提出は昭和五四年一〇月五日)から検出された覚せい剤は比較的多量の結晶性粉末であつたこと、このような結晶性粉末が検出できるのは、覚せい剤を体内に摂取後五日以内長くて六日以内であることが明らかになつたのであるから、これによれば被告人が覚せい剤を施用したのは、昭和五四年九月三〇日ごろから逮捕された同年一〇月三日までの間であることは計算上明らかであるので、この時点において、右のように訴因の一部を変更すべきであり、次に、犯行の場所の点であるが、被告人は住居地の有限会社山岡組の事務所において覚せい剤を飲んだことを終始供述しているのであるから、右の場所を犯行の場所として訴因の変更をすべきであり、更に犯行の方法の点であるが、被告人は覚せい剤を飲んだことを公判において自供しているのであるから、この時点以後においては、覚せい剤を服用したと訴因を変更することが可能になつたものであり、また、犯行に用いた覚せい剤の点であるが、起訴状にも若干量となつていて余りにも抽象的であるところ、公判審理において、耳かき四杯位という線が明らかになつたのであるから、右若干量についてこのように訴因の変更をすべきである。

しかるに、本件においては、右のような訴因変更の手続がとられた形跡は毫もない。訴因の変更が可能な時点ではすみやかに訴因の変更をすべきものとするのが、被告人の防禦権を充分に行わせるうえからも、妥当であるのに、本件においては最初から終りまでこのように訴因変更の手続が全くとられていない。

この点からするも、訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例